警備責任者に対する訴訟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 07:50 UTC 版)
「ヒルズボロの悲劇」の記事における「警備責任者に対する訴訟」の解説
1998年8月、遺族は事故の際に治安維持の最高責任者だったダッケンフィールド警視正と、彼のアシスタントを務めていたマレー警視に対する私人訴追の手続を開始し、2000年2月16日に殺人罪と不正行為で告訴した。同年6月6日に開始された裁判では被告側の過失や危険の予見性が争点となり、起訴側が「事故時の警察の失敗は一瞬の判断に直接起因するのではなく、安全性や対話を軽視した怠慢な姿勢にあった」と主張したのに対し、被告側は「スタジアムの歴史上前例のない、独特で予知のできない物理現象が起こった」と主張した。一方、裁判を担当したアンソニー・フーパー(英語版)判事は「我々が日常生活において行う判断の多くは、誤りであって怠慢ではない」とそれぞれの違いを指摘した上で、「事故があったという単なる事実によって2人の被告の過失を見出すことはできない」という立場を採り、危機的状況時の怠慢という点のみでは重罪とすることは難しいと考えていた。6週間の審議の結果、マレーは無罪となったが、ダッケンフィールドについては規定時間内に陪審員の評決がまとまらなかったとして、陪審を解散させた。この判断に対し弁護側も詰め寄ったが再審については「公正な裁判は不可能である」として拒否した。
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