諏訪栄町時代とは? わかりやすく解説

諏訪栄町時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/10 06:54 UTC 版)

ロッポニカ四日市」の記事における「諏訪栄町時代」の解説

1981年昭和56年11月には四日市日活劇場諏訪栄町大鯛ビル移転した四日市日活劇場はやはりにっかつ直営館として運営されロマンポルノ時代客席満席になることもあったという。1988年昭和63年)にはにっかつロマンポルノ作品の製作を終了しロッポニカレーベルで再び一般映画作品の製作を開始全国にっかつ映画館ロッポニカという名称に改称されており、同年7月には四日市日活劇場ロッポニカ四日市改称した改称記念して女優風祭ゆき舞台挨拶行っている。三重県映画館概説したローカル映画館史』の著者である久保仁(三重県興行環境衛生同業組合事務局員)は、「(昭和59年から63年にかけての5年間は、四日市映画界のもっとも浮沈激しかった時代」としている。 ロッポニカ四日市への改称からしばらくすると観客数低迷しにっかつ運営からの撤退決定すると、ビル所有者である南川正弘映画館の運営引き継いだ南川本業飲食店の経営者であり、「僕は映画の事は全く分からないホントド素人ですわ(笑)」と語っている。この頃1990年平成2年)の四日市市にはロッポニカ四日市のほかに、弥生館Ⅰ・Ⅱ四日市スカラ座塩浜劇場四日市中映四日市シネマホール(ベガ・スピカ・リゲルの3館)があった。 2000年平成12年)の四日市市にはロッポニカ四日市のほかに、四日市中映浜田7-12)、四日市シネマホールの3館(安島1-31-1)の3施設5スクリーンがあった。その後シネマコンプレックスシネコン)の109シネマズ四日市(9スクリーン)が開館したことで四日市中映四日市シネマホール閉館し2010年平成22年時点四日市市にある映画館ロッポニカ四日市109シネマズ四日市の2施設10スクリーンのみだった。 かつては日活系の「ロッポニカ」という名称の映画館全国多数あったが、2018年平成30年時点でも営業続けているのはロッポニカ四日市香川県高松市ロッポニカ高松の2館のみである。2018年時点三重県に残る成人映画館ロッポニカ四日市松阪市松阪大映劇場のみである。

※この「諏訪栄町時代」の解説は、「ロッポニカ四日市」の解説の一部です。
「諏訪栄町時代」を含む「ロッポニカ四日市」の記事については、「ロッポニカ四日市」の概要を参照ください。

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