詔書草案と五箇条の御誓文
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 09:53 UTC 版)
「人間宣言」の記事における「詔書草案と五箇条の御誓文」の解説
昭和天皇は、この詔書を発表して31年後の1977年(昭和52年)8月23日の会見で記者の質問に対し、GHQの詔書草案があったことについて、「今、批判的な意見を述べる時期ではないと思います」と答えた。 また、詔書の冒頭に五箇条の御誓文が引用されたことについて、以下のような発言をした。 それ(五箇条の御誓文を引用する事)が実は、あの詔書の一番の目的であって、神格とかそういうことは二の問題でした。当時はアメリカその他諸外国の勢力が強く、日本が圧倒される心配があったので、民主主義を採用されたのは明治天皇であって、日本の民主主義は決して輸入のものではないということを示す必要があった。日本の国民が誇りを忘れては非常に具合が悪いと思って、誇りを忘れさせないためにあの宣言を考えたのです。はじめの案では、五箇條ノ御誓文は日本人ならだれでも知っているので、あんまり詳しく入れる必要はないと思ったが、幣原総理を通じてマッカーサー元帥に示したところ、マ元帥が非常に称賛され、全文を発表してもらいたいと希望されたので、国民及び外国に示すことにしました。 — 昭和天皇、1977年(昭和52年)8月23日の会見 この発言により、この詔書がGHQ主導によるものか、昭和天皇主導によるものかという激しい議論が研究者の間で起こった。その後の1990年(平成2年)に前掲の『側近日誌』が刊行され、GHQ主導によるものとしてほぼ決着した。 また、昭和天皇が1977年(昭和52年)になって詔書の目的について発言したのは、人間宣言をした昭和天皇を厳しく非難し、1970年(昭和45年)に自決した三島由紀夫へ意を及ぼしたためではないかとする指摘がある。
※この「詔書草案と五箇条の御誓文」の解説は、「人間宣言」の解説の一部です。
「詔書草案と五箇条の御誓文」を含む「人間宣言」の記事については、「人間宣言」の概要を参照ください。
- 詔書草案と五箇条の御誓文のページへのリンク