診断の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/17 04:59 UTC 版)
1905年に、フリッツ・シャウディン(英語版)とエーリッヒ・ホフマン(英語版)は梅毒の患者の組織に梅毒トレポネーマ Treponema pallidum を発見した。その1年後、梅毒のための最初の効率的な試験法である、ワッセルマン反応がアウグスト・フォン・ワッセルマンによって開発された。この反応は偽陽性の問題があったが、梅毒の検出と予防の面では大きな進展であった。病気の急性症状が現れる前に試験を行うことで、感染した本人を治療することはできないものの、梅毒が他人へ感染することは防ぐことができるようになった。 1930年代には、ウィリアム・オーガスタス・ヒントン(英語版)によって Hinton test が開発された。これは凝集反応に基づくもので、ワッセルマン反応よりも偽陽性が少なかった。こうした初期の試験法は、現在ではより新しい分析法によって置き換えられている。 また、フェリックス・ミルグロム(英語版)は、一滴の乾いた血液で判別可能な簡便な試験法を開発し、第二次世界大戦後の東欧でのアウトブレイク時に200万人以上の試験に用いられた。 日本の科学者野口英世は、1913年にロックフェラー大学 (当時はロックフェラー医学研究所) で、進行性麻痺の患者の脳に梅毒トレポネーマが存在することを示し、神経梅毒と梅毒トレポネーマとの関連性を初めて示した。
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