計画発表から凍結まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 16:31 UTC 版)
足羽川は福井市街地を貫流することから、1900年(明治33年)に足羽川放水路が開削されたのを皮切りに様々な治水整備が為されたが、流域は水害によって度重なる浸水被害を受けていた。この為福井県は「足羽川総合開発事業」として1967年(昭和42年)より補助多目的ダムを足羽川に建設する計画を立てていたが、1983年(昭和58年)より建設省(現・国土交通省近畿地方整備局)に事業が継承され、特定多目的ダムとして実施計画調査が着手された。 ダムの型式は重力式コンクリートダム、高さは80m。1994年(平成4年)より建設事業に移行したが、そこから膠着状態に陥った。それは水没予定地の住民による強烈な反対運動の展開によるものである。ダム建設に伴い220戸の家屋が水没してしまう事から、地元住民はダム建設絶対反対の意思表示を行い、補償交渉は難航した。この間公共事業見直しの機運が全国で高まり、建設省は諮問機関である「足羽川ダム建設事業審査委員会」にダム建設の是非を諮問した。その結果、1997年(平成9年)に委員会は「足羽川にダム建設は必要だが、現行のダム建設は住民の犠牲を多く強いることから容認出来ない」という答申を発表。これにより足羽川ダム建設事業は方針転換を迫られることになった。
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