西浦和営業所の開設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 21:47 UTC 版)
「国際興業バス西浦和営業所」の記事における「西浦和営業所の開設」の解説
志木分車庫の所管地域は1980年代に入ると、東武東上線と営団(当時)有楽町線の相互直通運転が開始したり、1985年10月1日には国鉄(当時)埼京線が開業するなど交通の便が一気に改善し、東京のベッドタウンとして宅地化が進んだ。 これと同時に、志木分車庫管轄エリアは運行強化が必要とされたが、以下の問題点が原因となって困難を極めた。 志木分車庫の所在地(志木市幸町)が運行エリアから離れていたため、車庫近隣を通る自社路線が存在しなかった。 県道から路地を入った狭隘な住宅街の中に所在していたために、近隣住民から騒音等に関する苦情があった。 所管路線の増大及び既存系統での増発に対して車庫面積が手狭であったことから賄いきれず用地不足に陥ってしまい、さらに上記の立地条件から増車・敷地の拡張が不可能で運行強化が困難だった。 これを背景に国際興業では、志木を含む埼玉県南部の荒川流域における路線の運行を強化することとなった。 そして1993年3月16日、浦和市(当時)桜田に志木分車庫・観光川口営業所(川口市西青木・乗合川口営業所とは別所)の機能を移転し、両所を統廃合する形で「国際興業バス西浦和営業所」を開設した。 これにより、志木分車庫への出入庫系統であった志木駅 - 市場坂上線(初代志80)等の廃止、志木駅・浦和駅の両方向への出入庫系統の新設、長距離路線の浦和駅 - 朝霞 - 志木駅線(志02)が、営業所近くの「新開入口」まで短縮されるなどの再編が実施された。その後も出入庫系統を中心にいくつかの系統で起終点の変更等があったものの、開設からしばらくの間は、乗合バスの営業範囲は志木分車庫時代とほぼ同じであった。 その後、1998年11月16日に練馬営業所担当であった練馬車庫・成増駅入口 - 朝霞台駅線(練96、旧・増15)が廃止され、代替として当営業所が朝霞台駅 - 湯〜ぐうじょう(現:内間木)線などを開設した。 次いで、2000年10月16日に浦和・大宮両営業所が廃止され、さいたま市東部に移転・統合してさいたま東営業所となったことにより、両営業所から|JR京浜東北線以西の路線を多数移管させた。これにより、路線網は西堀・大久保・白鍬・さいたま新都心など、現在のさいたま市桜区・中央区のほぼ全域にまで手を広げた。また同時に、貸切バス事業は戸田営業所へ移管した。 さらに、2003年に朝霞駅南口広場が整備されたことにより、同駅を起点とする再編が実施され、朝霞市を通る路線のうち、練馬営業所担当で残っていた2路線が短縮・移管され、朝霞市を通る路線は全て当営業所の担当となった。 以上のように周辺営業所からの路線移管が続き、西浦和営業所は現在の規模となった。なお、志木分車庫の管轄営業所であった川越営業所は、西浦和営業所の開設と同時に同所の分車庫に格下げとなったのち、1995年1月16日に廃止となっている。これについては後に記す。
※この「西浦和営業所の開設」の解説は、「国際興業バス西浦和営業所」の解説の一部です。
「西浦和営業所の開設」を含む「国際興業バス西浦和営業所」の記事については、「国際興業バス西浦和営業所」の概要を参照ください。
- 西浦和営業所の開設のページへのリンク