西東京市長時代
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2005年2月6日執行の西東京市長選挙に、民主党、共産党、社民党、生活者ネットワークの支援を受けて無所属新人として出馬。41項目の政権公約(マニフェスト)を掲げ、現職の保谷高範市長(自由民主党、公明党推薦)を破り初当選を果たした。 乳幼児医療の無料化など地域医療体制の充実、地域包括センターなど福祉施設の整備、全小中学校の耐震化、市民参加条例、タウンミーティングなど、公約の目標に沿って具体的な事業に着手し、公約達成率は81%。 2009年2月の任期満了に伴う西東京市長選挙で、民主、共産、社民、西東京・生活者ネットワークの推薦を受けて再選される。選挙戦では、公約(マニフェスト)に福祉、リサイクル、文化活動の充実、産業振興、安全・安心のまちづくり等の6分野を掲げた。二期目の市政は、公約に基づく6分野34項目の実現に着手し、保谷駅南口の再開発事業等を完成させた。2013年1月15日、同年2月に行われる市長選挙に出馬しないことを表明した。
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