西東京市長選挙2005年2月・2009年2月
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「坂口光治」の記事における「西東京市長選挙2005年2月・2009年2月」の解説
西東京市は「平成の大合併」と言われた田無市と保谷市の合併時の選挙で旧両市長の一騎討ちとなり、そのしこりが残る形となっていた。 2005年2月の選挙戦をめぐっては小倉智昭氏を司会としてこもれびホール(西東京市)にて公開討論会(2005年1月23日・青年会議所主催)が行われた。この時の選挙戦は双方の幹部クラスの国会議員が応援演説に駆けつけ、市民の関心が大変高い選挙戦となった。 坂口は民主党、共産党、社民党、生活者ネットからの支持を受け、当時、地方自治体選挙では珍しかった(同市では初めての)政権公約(マニュフェスト)を作成し、「市民参加」「情報公開」「説明責任」の三原則のほか、多選自粛(最長で3期12年まで)や市長公用車の廃止、不要不急の公共事業の見直し等、41項目の具体的な項目を挙げて幅広い支持を集め圧勝した。(坂口こうじ 40,771票 保谷高範 27,110票/投票率45.69%) 2009年2月に行われた二期目の西東京市長選は、明確な争点が見えず投票率は37.19%と低迷した。選挙は接戦で無所属現職の坂口が無所属新人二人を破り再選を果たした(坂口光治25,844票 保谷七緒美21,607票 内田直之9,098票)、 坂口は低投票率について、「自分への批判として謙虚に受け止める」と語った。
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