西夏学の発展とは? わかりやすく解説

西夏学の発展(1908年から1930年代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/16 13:52 UTC 版)

西夏学」の記事における「西夏学の発展(1908年から1930年代)」の解説

現存する西夏語テキスト碑文の不足、特に西夏語辞書語彙集の欠如は、学者ブッシェルモーリスによる西夏文字解読に関する予備的研究超えることが困難であることを意味した1908年ピョートル・コズロフ内モンゴルゴビ砂漠の端にある放棄され西夏要塞都市カラ・ホト発見したとき、西夏研究突破口がついに生まれたカラ・ホト明朝初期に突然放棄され一部は砂に覆われていたため、500年以上にわたってほとんど手付かずのままだった。コズロフは、町の壁の外にある大きなストゥーパの中で、中国語西夏語中心とする約2000冊の刊本写本多く西夏仏教美術品を発見し保存研究のためにサンクトペテルブルクロシア地理学協会ロシア語版)に送り返したその後資料科学アカデミーアジア博物館(Asiatic Museum)、後のロシア科学アカデミー東洋研究所サンクトペテルブルク支部現在の東洋写本研究所(英語版))に移された。コズロフによるこの前例のない西夏語資料の発見が、東洋学分野における独立した学問分野としての西夏学の発展につながった

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