西夏との戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/17 03:23 UTC 版)
狄青は汾州西河(現在の山西省汾陽)の貧家に生まれた。ここはもともと異民族の侵入しやすい土地柄であったため、狄青は武術にはげんだ。貧家の出身だったが、騎射に優れていた。宝元年間(1038年 - 1040年)に宋・西夏戦争に従軍し、前線で活躍する。4年の間に25回も大きな戦いに参加し、敵の流れ矢を受けること8度という激戦の中、多くの城を落とし、5700の捕虜を得るという戦果を挙げる。このとき、狄青は兜をかぶらず、銅の面をつけ、ざんばら髪で戦ったそうであるが、この姿を見た西夏兵は彼を恐れ、敢えて近寄ろうとするものはいなかったという。
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