西夏・新羅征伐
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/17 14:48 UTC 版)
この辺りは史実はどうという検証をするのが馬鹿馬鹿しいほど荒唐無稽な展開になり、また敵味方ともに妖術の使用が目立つ。イメージ的に『水滸伝』の終盤に近いと思われる。 神宗皇帝の治世、宮廷を去ったと見せかけて、文広は40年も無佞府で引きこもりの生活を送っていた。その頃、西夏・新羅の王である李高材が謀反を起こした。敵将に身長が2丈(この時代の単位でも約4.5メートル)、8本の腕を持つという張奉国、通称を八臂鬼王が強すぎて宋将は歯が立たない。そこで、楊文広とその息子たちが戦いに向かう。八臂鬼王の強さは規格外で、文広の息子、公正や懐玉もかなわない。文広も分身の術などを使い戦うが、それでも八臂鬼王を打ち負かすことはできない。 ついに、楊家軍から楊宣娘(文広の姉)、満洞春(文広と杜月英の娘)その他12人の寡婦が援軍に駆けつけた。宣娘は文広を救い出すと八臂鬼王を打ち負かし、李高材とともに処刑する。 凱旋した楊家軍は、これまた繰り返されたパターンであるが、楊家軍を妬む佞臣の讒言に辟易させられる。文広自身はそれでも宋に忠誠心を持っていたが、息子の懐玉らは既に宋自体に対し、嫌気が差していた。そこで懐玉らは佞臣の代表格である張茂の一族を皆殺しにすると、太行山に引きこもり、以後は二度と宋に力を貸さないと宣言する。これは、あくまで叛意のない老齢の文広には秘密裏に行い、振動の少ない車で運ばされた文広は、ついに自分が太行山にいるとは知らずに天寿を全うする。
※この「西夏・新羅征伐」の解説は、「楊家将演義」の解説の一部です。
「西夏・新羅征伐」を含む「楊家将演義」の記事については、「楊家将演義」の概要を参照ください。
- 西夏・新羅征伐のページへのリンク