西壁と東壁とは? わかりやすく解説

西壁と東壁

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/09 19:44 UTC 版)

アラ・パキス」の記事における「西壁と東壁」の解説

東と西の壁には2つパネルがあり、それぞれ1つ保存状態がよいが、もう一方一部しか現存していない。 東壁の保存状態の悪いパネルには女性闘士 (bellatrix) が描かれており、ローマではないかと言われている。敵から没収した武器の山に座っており、そのように武器没収することで敵勢力が戦争できないようにし、平和をもたらしたことを意味している。この場面は、ローマ神の座った姿を描いた硬貨基づいて復元されている。アラ・パキス復元の際に、Edmund Buchner や他の学者がこのパネル想像図描き、それをもとに復元したオリジナルごく一部しか現存してない場合によく行われる手法だが、正しいとは限らない。 東壁のもう1つパネル保存状態がよいが、描かれているのが何であるかについては議論がある。座った女神の膝の上双子描かれており、肥沃さと繁栄描いたものと思われるこの女神が誰なのかについては、テルースウェヌスパークスといった説がある。祭壇意図考えればパークスが最もふさわしいが、今もってこの女神の正体について議論続いている。 西壁にも2つパネルがある。一部しか現存していない方のパネルは「ルペルカーリア祭パネル」と呼ばれており、ロームルスとレムスファウストゥルス見つけたところをマールス見ているという場面描いている。 保存状態がよい方のパネルは、年老いた聖職者が豚を生贄捧げ2人随行人がそこに立ち会っている様子描いている。Johannes Sieveking は約1世紀前に、これがウェルギリウスらが描写した場面であることを初め指摘した。すなわち、アイネイアースイタリア半島にたどり着いて雌豚その子豚を生贄としてユーノー捧げた場面だという。この指摘学界即座に受け入れられた。1960年代、Stephan Weinstock はアラ・パキス目的含めて新たな解釈挑戦し、Sievekingらが気づかなかった不一致多数指摘したその後Paul Richardson新たな解釈提案し[要出典]、Paul Rehak はパークスユーノーの門に関係が深いローマ王ヌマ・ポンピリウス描かれているという解釈発表した

※この「西壁と東壁」の解説は、「アラ・パキス」の解説の一部です。
「西壁と東壁」を含む「アラ・パキス」の記事については、「アラ・パキス」の概要を参照ください。

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