西土佐村から四万十市へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/26 21:25 UTC 版)
西土佐村成立後、江川崎は法務局出張所、営林署、土木出張所などの出先機関や役場・商工会・中央公民館など村の中心機能が集中する地域の拠点として発展を続け、1978年(昭和53年)の西土佐大橋架橋後は、四万十川対岸の用井も機能の一部を担うこととなった。それまでの用井は、陸の孤島状態にあったが、西土佐中学校や村の総合グラウンドが建設され、一躍中心機能を帯びた。1974年(昭和49年)3月1日には江川崎駅以東の鉄道路線が開業、宇和島線から予土線に改められた。長生は文明開化以後も他の地域から隔絶されていたが、1960年(昭和35年)の長生沈下橋架橋や1970年(昭和45年)の新道開通を通して陸の孤島から脱却し、農業の機械化も進んだ。 1983年(昭和58年)9月12日、NHK特集『土佐四万十川〜清流と魚と人と〜』が日本全国に放映され、その際にアナウンサーが用いた「日本最後の清流」の語は、日本中に四万十川を表す語として知られることとなった。この番組の放映後、江川崎では四万十川を活用した観光が盛んとなり、旧西土佐村の観光客は1990年(平成2年)の10万人から1997年(平成5年)の23万人へと急成長した。一方で、地元産の夏野菜や川魚などの豊富な食資源はキャンプ客の食材としての供給はなく、地元産品を活かした土産物も不十分である。 2005年(平成17年)、平成の大合併により四万十市の一部となる。
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