表田による再開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/19 06:27 UTC 版)
御領の表田幸一郎は知識人として知られ、中年以降は薬師如来を深く信仰していた。ある日、薬師如来の夢をみてから、病人救済の為に「本郷ラヂウム温泉」を再開できないかと活動するようになった。昭和5年に当時の本郷村村長の有木は、表田の申し出を受け、多少の不安があるが村の繁栄にも役立つと判断して5年間の期間限定で、表田に村有地と鉱水の使用を許可した。表田が再開した温泉は誠に質素な造りで、本郷第3砂留の下(後の「大谷荘」の位置)にドラム缶を2つに割って風呂釜とし、鉱水は400m上流にある坑口から大谷川の川原を竹を割った樋で導いた。燃料は枯木や落枝を使用し、客からの湯加減を尋ねながら表田自ら白い煙をモクモクと立てながら火を焚いた。大変粗末な浴場であったが、次第に評判が広まり入浴客が増え、増改築が絶える間がないほどの盛況となった。これが後の「大谷荘」の始まりである。
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