藤沢飛行場とは? わかりやすく解説

藤沢飛行場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/29 08:09 UTC 版)

藤沢飛行場
Fujisawa airfield(abolition)
藤沢飛行場を空撮(1964年)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
IATA: ? - ICAO: ?
概要
国・地域 日本
所在地 神奈川県藤沢市
種類 非公共用
運営者 東洋航空工業株式会社
座標 北緯35度21分24秒 東経139度27分50秒 / 北緯35.35667度 東経139.46389度 / 35.35667; 139.46389座標: 北緯35度21分24秒 東経139度27分50秒 / 北緯35.35667度 東経139.46389度 / 35.35667; 139.46389
地図
藤沢飛行場
藤沢飛行場
空港の位置
滑走路
方向 長さ×幅 (m) 表面
01/19 824×25 ?
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地図

藤沢飛行場(ふじさわひこうじょう)とは神奈川県藤沢市に存在した飛行場1953年昭和28年)- 1964年(昭和39年)の正式名称は東洋航空藤沢飛行場

概要

太平洋戦争当時、海軍の飛行場として建設された。湘南海岸江の島の西側から引地川を北上した東側の相模野台地丘陵上南端部にあった。さらに北上すると厚木海軍飛行場がある。滑走路は、南北方向で離着陸の方向は北から南向きだった。

終戦後は民間飛行場となり、廃止後の跡地は荏原製作所の藤沢事業所の大部分・荏原湘南スポーツセンターの敷地の一部になった[1]

歴史

海軍飛行場時代

民間飛行場時代

  • 1953年(昭和28年)2月12日 - 東洋航空藤沢飛行場の設置を申請[2]
    • 3月28日 - 神奈川県藤沢市字大原4361にて、飛行場供用開始。
  • 1964年(昭和39年)10月31日 - 飛行場供用廃止。
  • 1965年(昭和40年) - 跡地に荏原製作所藤沢工場(後に藤沢事業所)が新設される[1]

藤沢飛行場を舞台とした作品

脚注

注釈

出典

  1. ^ a b 松本久男. “藤沢工場の昨日・今日・明日” (PDF). エバラ時報. 荏原製作所. 2025年1月2日閲覧。
  2. ^ 同日、運輸省告示第44号
  3. ^ 国籍不明機の日本上空飛行に関する緊急質問 - 第33回国会衆議院本会議会議録
  4. ^ 君恋し”. 日活. 2018年7月4日閲覧。
  5. ^ 出撃”. 日活. 2022年8月19日閲覧。

参考文献

  • 椎谷和雄『藤沢海軍航空隊研究』、藤沢市史研究30、藤沢市文書館運営委員会編、1997年3月

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