藤原行経とは? わかりやすく解説

藤原行経

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/09 23:55 UTC 版)

 
藤原 行経
時代 平安時代中期
生誕 寛弘9年(1012年
死没 永承5年閏10月14日1050年11月30日
官位 従二位参議
主君 後一条天皇後朱雀天皇後冷泉天皇
氏族 藤原北家世尊寺流
父母 父:藤原行成、母:源泰清の娘
兄弟 薬助、実経良経行経、永親、源顕基室、源経頼室、藤原長家
源貞亮の娘
伊房、師行、資宗、行豪、禅円、行教
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藤原 行経(ふじわら の ゆきつね)は、平安時代中期の公卿能書家権大納言藤原行成の三男。従二位参議。和様書道の流派世尊寺流二代目。

経歴

後一条朝治安3年(1023年従五位下叙爵し、侍従に任官する。治安4年(1024年右兵衛権佐を経て、万寿2年(1025年右近衛少将に任ぜられると、長元6年(1033年)左近衛少将と近衛少将を務める傍らで、万寿3年(1026年)従五位上、万寿4年(1027年正五位下長元2年(1029年従四位下、長元7年(1034年)従四位上、長元9年(1036年正四位下と順調に昇進する。

後朱雀朝に入ると、長暦2年(1038年)右近衛権中将に昇進して引き続き近衛次将を務める傍ら、長暦3年(1039年春宮権亮を兼ねて春宮・親仁親王にも仕える。長久3年(1042年)左近衛中将を経て、長久4年(1043年蔵人頭に補される。

寛徳2年(1045年)正月に親仁親王が即位後冷泉天皇)するが、これまで春宮権亮を務めていたことから蔵人頭に留任し、同年10月には参議に任ぜられて公卿に列した。議政官としてはしばらく備後権守のみを兼帯するが、寛徳3年(1046年)春宮権亮の功労により従三位、永承4年(1049年)春日行幸行事賞により正三位と引き続き順調に昇進する。永承5年(1050年) 2月に兵部卿を兼ね、10月には上東門院行幸の院司賞により従二位に至るが、閏10月14日に薨去享年39。

真跡とされるもの

  • 高野切 ※この切の第一種は彼の真筆であるとされる説もある。
  • 詩歌切
  • 朗詠集切

など

官歴

公卿補任』による。

系譜

  • 父:藤原行成
  • 母:源泰清の娘
  • 妻:源貞亮の娘
  • 生母不詳の子女
    • 男子:藤原資宗
    • 男子:行豪
    • 男子:禅円
    • 男子:行教

脚注

  1. ^ a b c d e 『近衛府補任』
  2. ^ 『春記』

参考文献





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