藤井千秋とは? わかりやすく解説

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藤井千秋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/23 15:13 UTC 版)

藤井 千秋(ふじい ちあき、1923年大正12年〉 - 1985年昭和60年〉5月5日[1])は、岐阜県出身の画家イラストレーター美少女を描いた抒情画で知られる。

経歴

1923年(大正12年)岐阜県に生まれる[2]1941年(昭和16年)京都絵画専門学校へ入学する[2]1943年(昭和18年)には学徒出陣で入隊する[2]。軍隊生活中に脚を痛め陸軍病院に入院、招集解除となり海軍省用達の漫画映画の背景を一年描きながら[3]、絵画専門学校を卒業した[4]

戦後駐留米軍人の勧めで京都の有名な画商の元に少女の絵を数点持ち込んだところすぐに売れ[4][3]、このときに絵を買った客の一人に大翠書院の社長がおり、本の表紙挿絵の依頼が来るようになる[4][注釈 1]。また別の客から少女雑誌『少女の友』に話が持ち込まれ、そちらでも絵を描くようになる[3]1947年(昭和22年)に新制中学の美術教師となるが、多忙のため1年半で退職し[4][3]、以後はほぼ『少女の友』専属画家として活躍する[3][注釈 2]

1955年(昭和30年)に『少女の友』が廃刊となると他社からの依頼が殺到し、『少女』『女学生の友』『小説ジュニア』『美しい十代』などの雑誌へ執筆するようになる[4][3]。「千秋プリント」の名でハンカチや便箋などのデザイン商品が多数つくられ、また千秋の元に集まる若者たちと交流する「草の実会」というグループが生まれ、毎月の例会をもち、ハイキング宝塚観劇、寸劇会、ダンスパーティなどがおこなわれた[5]。しかし過労のため一時画業を中断することになる[3]

1963年(昭和38年)より背骨の手術を2回受けたことにより神経を痛め、同時に血清肝炎となり、入退院を繰り返す[2]。晩年はベッドでの作品造りが続いた[2]

1985年(昭和60年)、京都洛北の地で5月5日逝去。享年62歳。

作品集

個展

藤井千秋展 清らかな乙女たちー青春の輝き
2001年(平成13年)3月31日 - 7月1日、弥生美術館[6][7]
藤井千秋展
2014年(平成26年)9月20日 - 11月9日、刈谷市美術館[8]
藤井千秋展 ~美術館はオトギノクニ~
2015年(平成27年)4月25日 - 6月7日、豊科近代美術館[9]
~輝き続ける少女の夢~ 藤井千秋の世界
2018年(平成30年)5月26日 - 7月8日、富山市民プラザ[10]
生誕100年・最後の抒情画家 藤井千秋展
2023年(令和5年)4月15日 - 7月9日、姫路市書写の里・美術工芸館[11]

脚注

注釈

  1. ^ 当時、大翠書院の社員には瀬戸内晴美流政之がいた[3]。また大翠書院からは中島光子との絵本も刊行している[3]
  2. ^ 当時10代の吉永小百合も藤井千秋の絵のファンであった[3]。また中原淳一が渡仏する際に『ジュニアそれいゆ』の表紙画を藤井千秋に依頼したいという話があったが、『少女の友』側が専属契約することで実現しなかった[3]

出典

  1. ^ 藤井千秋」『20世紀日本人名事典』日外アソシエーツhttps://kotobank.jp/word/%E8%97%A4%E4%BA%95%E5%8D%83%E7%A7%8Bコトバンクより2025年9月20日閲覧 
  2. ^ a b c d e 別冊太陽 1986, p. 4.
  3. ^ a b c d e f g h i j k やなせ 1986, p. 118.
  4. ^ a b c d e 美少女の伝説 1986, p. 69.
  5. ^ やなせ 1986, pp. 118–119.
  6. ^ 過去の展覧会”. 弥生美術館・竹久夢二美術館. 2025年9月13日閲覧。
  7. ^ 藤井千秋展 : 清らかな乙女たちー青春の輝き”. 筑波大学附属図書館ポスターデータベース. 2025年9月13日閲覧。
  8. ^ 平成26年度の展覧会(2014年4月から2015年3月)”. 刈谷市美術館. 2025年9月24日閲覧。
  9. ^ 過去の企画展一覧”. 安曇野市美術館. 2025年9月24日閲覧。
  10. ^ ~輝き続ける少女の夢~ 藤井千秋の世界”. ウォーカープラス. 2025年9月24日閲覧。
  11. ^ 戦後の子どもに夢与えた「最後の抒情画家」 姫路市で藤井千秋さん生誕100年特別展”. サンテレビ (2023年5月27日). 2025年9月20日閲覧。

参考文献

  • 『絵本名画館 乙女のファンタジア 藤井千秋 藤田ミラノ』平凡社〈別冊太陽〉、1986年4月25日。 NCID BN0136763X 
    • やなせたかし「最後の抒情画家 藤井千秋 パリに咲く抒情画家 藤田ミラノ」『絵本名画館 乙女のファンタジア 藤井千秋 藤田ミラノ』平凡社、1986年4月25日、117-121頁。 
  • 『よみがえれ!叙情画 美少女の伝説』やなせたかし(監修)、サンリオ、1986年6月25日。 ISBN 4387860650 

外部リンク




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