蓬萊米がもたらした影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 09:54 UTC 版)
蓬萊米の誕生で、台湾における水稲二期作栽培が容易になった。元々台湾では老熟種を移植することが慣行であったが、彼らは蓬萊米の若苗を移植することで飛躍的な増収を得ることができたとされる。農家の収益は30パーセント増になった。以下統計数字をみる。 蓬萊米作付面積の地域別割合の変化は以下のとおりである。 蓬萊米作付面積地域1923年(大正12年)1925年(大正14年)北部(台北州・新竹州)2,144甲 43,164甲 中部以南(台中州・台南州・高雄州)335甲 27,432甲 東部(華蓮港庁・台東庁)4甲 231甲 次に蓬萊米と在来種米の生産高のそれぞれの推移は以下のとおりである。 生産高推移種別1922年(大正11年)1926年(大正15年)在来種米4,855,105石 4,054,491石 蓬萊米7,296石 1,307,102石 合計4,862,401石 5,361,593石 さらに蓬萊米と在来種米の日本への移出高それぞれの推移は以下のとおりである。 日本への移出高推移種別1922年(大正11年)1926年(大正15年)在来種米402,651石 475,124石 蓬萊米1,276石 1,041,337石 合計403,927石 1,516,461石 このように蓬萊米の生産高の飛躍的増加と内地市場への浸透が見て取れる。他方、蓬萊米は生産量、価格とも在来種よりも高かったため、経済作物として日本に移出され、同じく経済作物であった甘蔗と競合するようになる。水田稲作と蔗作とが農地の取り合いになるという、いわゆる「米糖相克」の問題が生じるようにもなった。
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