蒔田村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/16 09:44 UTC 版)
まきた又はまいたと言う。朝明川下流右岸の沖積地に位置する。蒔田地内長明寺は中世期に蒔田氏の拠点の蒔田城 (伊勢国)跡とされる。1560年(永禄3年)の『保内商人申状案』に見える地名である。保内商人が伊勢街道通行の木綿・真面荷を差し押さえた事例として、『7年前・8年前以前(まい田)商人の真綿・芋を千草街道山中で差し押さえて、峠の宿善座衛門に預け置いた』と記述されている。村高は341石。東海道が南北に通り、集落は街道沿いに街村を構成している。助郷は東海道桑名宿・四日市宿へ出没する。浄土真宗本願寺派朝明山長明寺があり、その北に隣接して蒔田観音寺と神明寺がある。観音寺は竜王山宝性寺とも云い、建物は享保年間(1716年~1736年)の作品で、1977年(昭和52年)に四日市市文化財となる。1889年(明治22年)の戸数は64軒、人口311人。江戸末期から地内に大矢知素麺を製造する農家が多い。菜種・油菜の栽培も多くて、採油業も行われた。繊維産業・食品加工業・孵卵産業が昭和時代に発展した。蒔田村は蒔田1丁目~蒔田4丁目・川北1丁目となる。
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