松寺村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/16 09:44 UTC 版)
江戸時代期から1889年(明治22年)の村名。伊勢国朝明郡所属。桑名藩領。朝明川の下流右岸に位置する。東海道が南北に貫通する。村高は418石余り。集落は東海道に沿って南北に細長く伸びる。1827年(文政10年)の戸数32軒、人口160人。助郷は東海道桑名宿へ出没する。酒造業が盛んで、松寺の酒は毎年伊勢神宮に奉納される。鎮守は神明宮、寺は寛文年間(1661年~1673年)開基の浄土真宗本願寺派蓮証寺がある。1879年(明治12年)に蒔田村・川北村の2ヵ村と連合して松寺村に戸長役場を設置した。1889年(明治22年)に大矢知村の大字となる。 同年に関西鉄道が西に開通したため、東海道筋は寂びれたが、酒造業やタオル製造業・さらし工場が進出してにぎわいを取り戻した。1973年(昭和48年)に松寺1丁目~松寺3丁目・川北1丁目となる。
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