葛飾区成立以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/26 08:22 UTC 版)
昭和7年(1932年)10月1日、東京市は周辺の5郡(荏原、北豊島、豊多摩、南足立、南葛飾)に属する82町村を編入し、いわゆる大東京市が成立した。なお、従前の6郡のうち、南豊島郡と東多摩郡が明治29年(1896年)に合併して豊多摩郡となっている。編入された82町村は20区に編成され、東京市は既存の15区と合わせ、35区から構成されることとなった。この時、奥戸町、本田町、南綾瀬町、亀青村、金町、新宿町、水元村の5町2村の区域をもって葛飾区が新設された。 昭和9年(1934年)6月1日、河川の流路変更に伴う足立区との境界変更があり、葛飾区柳原町(全域)と小谷野町(一部)が足立区へ、足立区日ノ出町二丁目(大部分)と伊藤谷本町(一部)が葛飾区へ、それぞれ編入された。 昭和18年(1943年)7月1日、東京府と東京市が廃止されて、新たに東京都が設置された。この時、葛飾区を含む35区は東京都直轄の区となった。昭和22年(1947年)3月15日、35区は22区に再編される(同年8月、板橋区から練馬区が分離して23区)。この時点では葛飾区の区域には変更はなかった。 昭和43年(1968年)4月1日、河川の流路変更に伴う足立区との境界変更で、葛飾区上千葉町(綾瀬駅付近の一部)が足立区へ編入。現綾瀬駅の所在地が葛飾区から足立区へ移る。その後、大規模な変化はなく現代に至っている。
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