落選と政界引退後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 04:06 UTC 版)
2005年の第44回総選挙では、比例近畿ブロック単独で立候補したものの落選し、国会の議席を失った(社民党の比例近畿ブロック当選者は復党した辻元のみ)。落選後のインタビューでは引退を強く否定したため、再立候補の意向であると見られていたが、参議院議員転進も取り沙汰された中での2007年7月の第21回通常選挙には不出馬。さらに2008年10月、第45回総選挙にも立候補しない意向を表明し、事実上政界から引退した。ただし、政治活動自体は続ける意思を示した。 2010年1月末、1990年12月に自らの呼び掛けで設立し代表理事を務めていた「アジア人権基金」が、その役割を終えたとして活動を終了した。 2013年10月に社民党党首に選出された吉田忠智が直後に土井に面会を申し入れたが、痩せて往年のイメージと異なってしまっているとの理由から断られ、実現しなかった。しかし安倍晋三政権に対する危機感を露わにするなど、晩年もメッセージを発し続けた。 2014年9月20日に肺炎のため兵庫県内の病院で死去。その死は初七日の28日に社民党本部により公表され、11月25日にお別れの会が開かれた。
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