落選・党代表辞任
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2009年の第45回衆議院議員総選挙で従来通り重複立候補を辞退し東京12区のみに立候補したが、民主党の青木愛に僅差で敗れ現職の与党党首でありながら落選した。公明党で党首が落選するのは立党以来初めてであった。総選挙後、9月3日の党常任役員会で党代表辞任を表明し、了承された。なお、同じく落選した党幹事長の北側一雄も併せて辞任した。 同年9月8日の公明党全国代表者会議において、太田の辞任と山口那津男の新代表就任が正式に決まる。これに併せて党規約が改正され、太田は新設ポストである全国代表者会議議長に就任、執行部に残留した。 同年12月6日、2010年7月の第22回参議院議員通常選挙における比例区候補として公明党から公認された。しかし、2010年2月2日には一転、公明党は太田の公認を取り消し、党ホームページの参院選立候補予定者欄から太田の名前を削除した。太田の参議院への出馬に対し、創価学会婦人部など学会内部から否定的な意見が多かったことが遠因といわれる。
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