萬菫不殺
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1966年に帰国後、東京大学医学部薬理学教室の文部教官を務めた後、1967年に父敬節の修琴堂大塚医院の副院長として漢方の診療を開始するとともに、横浜市立大学非常勤講師として薬理学の教鞭を取った。その一方、医史学・薬史学の研究を行い、順天堂大学医史学教室の小川鼎三教授の元へ通った。小川鼎三門下には、のちに酒井シヅ氏も入門する。 医史学・薬史学の研究業績は多々あるが、中でも特筆すべきは「萬菫不殺」であろう。サソリ毒とトリカブト毒がお互いに打ち消しあうということが1世紀の西洋で著されたガイウス・プリニウス・セクンドゥスの『博物誌』とペダニウス・ディオスコリデスの『ギリシャ本草』に記載されている。それとまったく同じ事実を紀元前239年の中国で成立したとみられる『呂氏春秋』に発見した。「夫草有莘。有藟。独食之。則殺人。合而食之。則益寿。萬菫不殺。」とある。莘という草と藟という草は人を殺すほどの猛毒だが、合わせて食べると寿命を延ばすというのである。同様に萬(サソリ)と菫(トリカブト)もともに猛毒だが、お互いの毒を打ち消し合うというのである。大塚恭男はこの発見について「洋の東西で偶然同じ発見がされたと考えるよりも、少なくとも2000年前には西洋東洋の交流はすでに盛んにあったと考える方が自然であろう。」と述べている。この発見はその後、トリカブト殺人事件の際、フグ毒とトリカブトを配合して作用時間を延ばした事件の解決にも役立った。
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