草牟田町の設置と近代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 13:42 UTC 版)
ウィキソースに鹿児島市と鹿児島郡西武田村、鹿児島郡伊敷村の境界を変更する件の鹿児島県告示があります。 1911年(明治44年)9月30日に鹿児島郡伊敷村大字下伊敷の小字宮ノ下、二月田、宇都、丸山、夏蔭ノ宇都、夏蔭、丸山外園、十月田、荒巻、上古川、柳田古川、外戸口、郷田、椎木山、前之谷下、松ヶ平、堤ヶ宇都、前谷上、後ヶ宇都、萬助ヶ宇都、猟師馬場、眞迫、北山迫、下之門、御舟崎、入舟、内屋敷、屋敷添、下川原、柵川原、屋敷内、柳田、大坪、中川原、上川原の区域が鹿児島市に編入され、その区域を以て鹿児島市の町「草牟田町」として設置された。鹿児島市編入時の草牟田町の人口は1,491人であった。 第二次世界大戦終戦後の1946年(昭和21年)には戦災復興事業の一つとして土地区画整理事業が実施されることとなり、草牟田地区も土地区画整理事業の対象となった。戦災復興事業として行われていた土地区画整理事業は鹿児島市全体で1981年(昭和56年)までに完了した。 1976年(昭和51年)7月5日に城山・草牟田地区において住居表示が実施されることとなり、町域の再編が実施された。それに伴い、草牟田町の一部より「草牟田一丁目」、草牟田町、玉里町の一部より「草牟田二丁目」が設置され、草牟田町の一部が城山一丁目の一部となり、下伊敷町の一部が草牟田町に編入された。
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