草生津刑場の様子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/25 01:28 UTC 版)
既決獄舎にいた重罪人は、年毎に10月27日を期して草生津刑場で斬罪の上、3日間のさらし首にされ諸人に見せた。父殺しや火付け殺人、夫殺しなどの重罪があった場合は、その日を待たずに不定期に死刑が行われた。『秋田沿革史大成』には、重罪人が既決獄舎から行列に連れられ移動し、草生津刑場で斬罪され、さらし首にされる様子が詳細に記されている。 刑死を受ける者は橋のたもとの弥六そばというかけそば屋で、この世の食べ納めをし、橋を渡った。刑囚は今生の見納めに橋上から自分の面影を映したことから、面影橋の名が付けられたともいう。 羽州街道は面影橋を通過し、右に大きくカーブして北に向かう。ここから下八橋である。街道の左には石塔が建ち、松並木の参道の奥に二王門があり、丘の上に七面堂と宝塔寺があり、やや北に離れて石造五重塔があった。さらにその北に善龍寺がある。街道に戻ると街道は左にカーブして北に向かう。このカーブの右側の街道筋に石仏、六地蔵、一基の塚があった。ここに八橋(草生津)刑場があった。街道は刑場を過ぎ、吹上坂にかかる。現在この東側の街道沿いに松並木の名残である黒松数本が残る。
※この「草生津刑場の様子」の解説は、「草生津刑場」の解説の一部です。
「草生津刑場の様子」を含む「草生津刑場」の記事については、「草生津刑場」の概要を参照ください。
- 草生津刑場の様子のページへのリンク