二王門
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 10:15 UTC 版)
三間一戸、入母屋造、栩葺の二重門である。昭和25年(1950年)から昭和27年(1952年)10月まで行われた解体修理で、上層の柱から「宝治二年」(1248年)の墨書銘が発見された。また、床板に転用されていた棟札が発見され、その記載から、門は仁治3年(1242年)から建長5年(1253年)にかけて再建されたものであることが明らかになった。併せて永正13年(1516年)、享保14年(1729年)、安政6年(1859年)の3度にわたり修理が行われていたことも判明した。長押を多用し、下層の背面と上層には連子窓を設けるなど和様を基調とするが、頭貫の木鼻は大仏様(だいぶつよう)とする。二王(金剛力士)像を門の正面側でなく後の間に安置する点が珍しい。 中世にさかのぼる二重門(2階建で、下層と上層の境にも屋根の出をつくる門)は極めて稀少であり、建築年代が判明する点も貴重であり、修理完工後の昭和29年(1954年)に国宝に指定された。 2016年、修理が始まり3年後に終わる予定。
※この「二王門」の解説は、「光明寺 (綾部市)」の解説の一部です。
「二王門」を含む「光明寺 (綾部市)」の記事については、「光明寺 (綾部市)」の概要を参照ください。
- 二王門のページへのリンク