草田郷の再発見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 09:57 UTC 版)
『和名類聚抄』(10世紀中頃に成立)の通行本文である元和古活字版の記録によると、児玉郡には「黄田郷」があったと記述されている。その発音から現在の児玉町吉田林(きたばやし)の周辺が比定地とされてきた。ところが、当遺跡から出土したこの紡錘車の記述によって、通行の『和名類聚抄』の記述が誤写である事が判明し、「黄田郷」は存在しない事が判った。ところが、『和名類聚抄』の平安時代写本である高山寺本では、この部分は黄田郷でなく、正しく草田郷となっている。それらの結果を総合すると、草田郷の所在地は現在の本庄市栄3丁目から西富田の付近に存在したと言う事も推定できる。平安時代の出土物(遺物)によって、『倭名類聚抄』の古写本の本文が正しいことが判明した珍しい事例であり、考古学的にも重要な資料である。
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