苦学して東京高等商業学校を卒業し横浜正金銀行に就職
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1873年(明治6年)2月24日に鳥取市本町の商家に生まれる。同郷の奥田義人特許局長の玄関番となり特許局で働きながら予備校で学んで、東京高等商業学校(現一橋大学)に入学すると旧藩主による奨学金・寄宿舎に頼りながら、銀行家を目指して学ぶ。1897年(明治30年)7月に卒業すると、高橋是清副頭取の口添えで横浜正金銀行に就職した。1898年(明治31年)3月から上海支店に勤務し、1905年(明治38年)春に満州の牛荘支店副支配人となった。日露戦争中は銀貨を収集して満州の戦場へ軍用金を送達し、終戦後は軍票回収にあたった。1907年(明治40年)秋に帰国すると、本店支配人戸次兵吉の欧米視察に随行した。その後、神戸支店副支配人、ロンドン支店副支配人、神戸支店支配人、本店支配人を経て、1922年(大正11年)3月に取締役に就任した。
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