苦学の日々
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 15:03 UTC 版)
1882年(明治15年)10月20日、愛知県碧海郡桜井村(現・安城市桜井町)出身。5歳の時には母親とともに、2か月かけて長野の善光寺参りを行っている。母親は道標に刻まれた文字を苦労して読んでおり、女子教育の大切さを痛感した母親はだいを学校に通わせる決心をした。6歳から13歳までは長谷部某の漢学塾に通い、だいは塾内で男子にもまれる悦びを知った。19歳で東京裁縫女学校(現・東京家政大学)に入学すると、自身で生活費を稼ぎながら夜間には教員養成所に通った。賃金が良いため男装して人力車の人夫をしたこともあったという。1905年(明治38年)に東京裁縫女学校を卒業して教員免許を取得し、滋賀県の石部実業補習女学校に赴任した。
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