苦境期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 00:25 UTC 版)
1920年(大正9年)、1月の月間乗客数が100万人を越え、乗合自動車の所有台数も163両と拡大した。車両の購入にあたっては軍用自動車補助法を活用し、補助金を活用して購入台数を増やした。 しかしその後は不景気の影響で1920年の営業係数は99.4であった。株価も低迷し、25円払込で高値8.5円、最安値3.7円まで暴落した。このころ経営陣の雰囲気は「堀内良平以外の役員全部が会社解散を主張」するような状況であったといわれている。 経営再建のため、1921年(大正10年)資本金を1,000万円から500万円に減資。翌1922年(大正11年)6月には、300万円に減資した。また社名を東京乗合自動車に改称し、再出発を図った。 さらに、1923年(大正12年)7月から貨物自動車部門を休止とした。8月には24%出資の東京実用自動車を設立し、ここに貸自動車部門を譲渡した。
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