若手時代 - 海外遠征
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 09:20 UTC 版)
「YOSHI-HASHI」の記事における「若手時代 - 海外遠征」の解説
2008年7月6日、NEW JAPAN TRILL後楽園ホール大会にてダーク・マッチの第0試合で内藤哲也を相手にデビューを果たす。 2009年12月2日、金本浩二とのタッグで邪道 & 外道組と対戦。この試合でパートナーの金本が放ったミドルキックが原因で外道が脳震盪を起こし、レフェリーストップ勝ちを収める。これに伴い、外道は以後のシリーズを欠場することとなり、IWGPジュニアタッグ王座へ挑戦することが急遽決定した。12月4日、金本とのタッグでIWGPジュニアタッグ王座を保持するApollo 55(田口隆祐 & プリンス・デヴィット)に挑戦。最後は田口からピンフォール負けを喫し、王座奪取とはならなかった。 2010年5月30日、BEST OF THE SUPER Jr.に初出場を果たす。AKIRAから勝利を収める活躍を見せるも勢いに乗ることはできず、1勝6敗という戦績で終わった。6月13日、シリーズ最終戦にて、無期限海外遠征のためメキシコに飛び立つことを表明した。現地CMLLでは、顔にペイントを入れたヒールレスラーとして活動。2011年7月よりルーシュと抗争を繰り広げ、8月1日のアレナプエブラ大会にて、カベジェラ・コントラ・カベジェラ戦に臨むが、敗戦し丸坊主となった。同年12月に修業期間を終えて帰国した。帰国後のインタビューにて吉橋は、「俺をメキシコに追いやって、見捨てた会社を見返してやる!」と語り、階級をジュニアヘビー級からヘビー級へ転向することを宣言し当時はヒール・ユニットだった、CHAOSの一員として活動することを明言した。
※この「若手時代 - 海外遠征」の解説は、「YOSHI-HASHI」の解説の一部です。
「若手時代 - 海外遠征」を含む「YOSHI-HASHI」の記事については、「YOSHI-HASHI」の概要を参照ください。
- 若手時代 - 海外遠征のページへのリンク