色川本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 19:19 UTC 版)
色川本『甲乱記』は静嘉堂文庫所蔵。古態を止めた最善本と評価されている。1961年には岩沢愿彦が版本系とは異なる写本が複数存在することを指摘している。色川本は版本系と比較して内容が簡素な記述となっており、岩澤は色川本は和漢の故事や来歴、修飾句などを挿入した増補本で、刊行のため物語性を強化し軍学的評語を付したものとしている。また、丸島は色川本においても和漢の故事を引いた著述が見られることを指摘しているほか、漢字をカタカナに直し振り仮名、敬語を付すなど読みやすさを考慮とした加筆修正がなされていることを指摘している。 内容においては天正10年6月の本能寺の変に関する記述において、勝頼を滅ぼした信長が織田信澄・明智光秀に討たれ、さらに信澄・光秀が織田信孝・羽柴秀吉に討たれたとしている。信澄は信長によって殺害された信成(信行)の子で、光秀と共謀した事実はないが、光秀の女婿であったため変への加担を疑われ誅殺された人物で、『甲乱記』では本能寺の変の主体を信澄としている。丸島は『甲乱記』では本能寺の変の一連の経緯を子が親の敵を討つ因果応報譚に基づいた記述であり、版本ではさらに記述が増加しこの点が強化されていることを指摘している。 また、内容も武田氏滅亡の様子を正確に記述し、武田家臣の実名や通称を正確に記述している点も特徴とされ、記主は武田遺臣である可能性も考えられている
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