良吏として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 08:23 UTC 版)
同年8月に筑後守に任ぜられ、肥後守も兼任した。任地においては、人々に生業を勧め、耕作経営や耕地に果樹や野菜を植えること、鶏や豚の飼育方法まで規定を制定し、時宜を尽くした方法を教えた。またしばしば任地を巡行し、教えに従わない者に対しては程度に応じて処罰を加えた。当初、人々は内心恨んで罵ったりしていたが、収穫が増えるにつれてみな喜び従うようになり、1,2年のうちに国中の人々がみな従うようになったという。また溜池や堤防を築いて灌漑を広め、安定した水稲耕作を可能にした。肥後国の味生池(あじうのいけ)や筑後国の数々の溜池は首名が造ったものという。この地の人々がその後もこの水利の恩恵を受けて生活が充足しているのは首名のおかげであるとされた。 青木和夫は、首名が律令を学ぶ傍らで中国の農業書をも読んでいたと推定しており、そのために先進的な中国の技術を用いた農事指導、溜池築造を行えたのだろうと述べている。
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