水戸藩士 吉成氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 14:13 UTC 版)
また、久慈郡の士 吉成信保の孫・吉成又右衛門については良吏として美蹟多く、その子 恒次郎ともども幕末日本の海防に尽力し、明治時代に正五位を贈位されたと記録されている。この吉成氏は吉成讃岐、石見、織部らの末裔か。 その他、百姓のうち義民として活動する者のうちに吉成氏があり、以下に掲載する。 吉成鼎 安政2年(1855年)に編纂された『御領内義民賞典姓名録』に左貫村の御目見格郷医。代々苗字麻上下帯刀、倅一代、御送迎格を許される、とある。同年9月4日付け、9月5日申し渡し。 吉成織之介 下金沢村の人。安政2年(1855年)9月4日付け、翌5日申し渡しで亡父志格別につき、代々苗字麻上下帯刀、倅一代、御送迎格を許される、とある。同年9月4日付け、9月5日申し渡し。 吉成市之丞 吉城とも。市之允とも。久慈郡棚谷村の百姓。組頭。安政2年(1855年)9月4日付け、翌5日申し渡しで一代麻上下を許されるもその後、天狗党の乱に天狗勢として加わり捕らわれる。慶応元年(1865年)1月14日、獄死。享年52。靖国神社合祀。 吉成弥七 久慈郡芦野倉村の百姓。天狗党に加わり西金村で捕縛され、慶応2年(1866年)3月9日、獄死。享年34(38とも)。
※この「水戸藩士 吉成氏」の解説は、「吉成氏」の解説の一部です。
「水戸藩士 吉成氏」を含む「吉成氏」の記事については、「吉成氏」の概要を参照ください。
- 水戸藩士 吉成氏のページへのリンク