良城隊時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 01:21 UTC 版)
長州藩は薩摩藩と同盟 (薩長同盟)を結び、奇兵隊を始めとする藩内の軍団を組織する。吉敷でも、1866年(慶応2年)に良城隊と呼ぶ洋式軍隊が編成される。14歳の沢山は父源之丞と共に入隊する。 第二次長州征伐の時に、沢山親子の所属する良城隊が芸州口への出動を命じられる。236名の隊員は7月12日に吉敷村を出発する。沢山は内海豪助を指令とする第五小隊の鼓手として戦争を体験する。7月20日夕刻に遊撃隊、御楯隊などの長州藩兵と合流する。8月2日と8月7日に激戦を経験する。8月21日になり、長州軍が勝利する。 1868年(明治元年)、16歳で沢山は陽明学を学ぶために三原に赴き吉村菱山に師事する。そして、今治に渡り渡辺渉に師事する。
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