船舶ニュース
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/11 17:09 UTC 版)
当時無線電信自体が珍しかったことから、新聞には船の入出港毎に航海の模様や出来事など、無線通信の通信距離などが掲載されていた。一例として、1909年(明治42年)3月14日報知新聞夕刊には以下のような電文紹介の記事が掲載されている。 ○無線電信 北海道落石無線電信局経由12日午後 天洋丸発「昨11日午後10時本船は落石へ1382マイルより約2時間簡単なる通信を為し得たり。今夜8時横浜へ1151マイル、落石へ1116マイルより通信を開始す。午後12時1002マイルを隔てて銚子局へも通ず。本船は16日午前7時横浜到着の予定。積み荷は3553トン大部分は日本揚げなるが外に香港各銀行米国金貨2800万ドルを積む。旅客は1等103名、2等51名、3等229名にして、ペンク博士、清水領事、ドクトル成川、塚原東洋汽船副社長。米国大使館書記官ワーレス、原文学博士その他知名の士多し」 また日本国内での出来事を船舶に通信し、乗客に公表していたが、さらにそれが進み船内新聞という形で、航海上の貴重な情報源とすることに役立った。
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