航空スタンドバー・リンドバーグ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 02:53 UTC 版)
「河辺忠夫」の記事における「航空スタンドバー・リンドバーグ」の解説
河辺は1962年にアルゼンチンで開催される世界グライダー選手権大会出場をめざしたが、滑空機機体製作、参加費用共に自費との条件だったので資金の調達に奔走することとなった。有力なスポンサーが見つからないままサントリー・ビールをスポンサーに福岡・東中州に河辺の敬愛するチャールズ・リンドバーグにちなみ「航空スタンドバー・リンドバーグ」を開店した。店は博多の歓楽街東中州永楽町で入り口にオットー・リリエンタールの大きなグライダーの絵の看板が掛けられ中にはいるとビルー瓶で形作られた星型発動機のオブゼ、カウンターには飛行機の彫刻、飾られた絵は、村上松次郎作による『隼』と航空機にこだわった店作りであった。店を切り盛りしたのは河辺忠夫夫人の海栄で、雑誌『航空情報』1960年(昭和35年)12月号の取材に次のように話した。 主人は何とかして自家用ソアラーをつくり、それに乗って世界滑空選手権大会に出たいと、それがただ一つの夢で、このバーを開いたのもそのためなんです。わたくしも、ゼヒ何とかしてやりたくて、こうして慣れない仕事を・・・・」 夫婦共に力を合わせて資金集めに奮闘するが、滑空機の製作に必要な資金は得られなかった。
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