舟大工としての坪山とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 舟大工としての坪山の意味・解説 

舟大工としての坪山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/13 02:47 UTC 版)

坪山豊」の記事における「舟大工としての坪山」の解説

一般にシマ唄唄者として知られる坪山であるが、伝統船舶研究世界では奄美伝統建造技術保持者として極めて有名な存在である。坪山アイノコ考案者である海老原万吉直接師事して舟大工技術学んだ人物であり、また1987年にはクバヤの再現行っている。このクバヤは現在は奄美市博物館エントランスでその勇姿を見ることが出来る。(小早舟のこと) 坪山当初5年年季契約海老原工房入ったが、3年目から海老原次男製材業開業すると、舟大工見習いではなく製材業仕事手伝わされるようになった為、4年目終わった時点海老原工房出奔し実家戻った。その直後坪山は自らの工房構えたが、開業当初から坪山造る舟の品質の高さは認められ、2艘目で宇検村村役場からの発注入ったほどであった。だが生勝市場小さい為、3艘建造した時点注文途絶えてしまった。 坪山1955年昭和30年)頃に名瀬移住し半年間だけ船員として働いて開業資金を貯めた後に舟大工開業した開業からしばらくして師匠であった海老原坪山工房訪れ新しく自分工房大量受注した伝馬船建造職人として手伝ってくれるよう依頼坪山はかつての出奔罪滅ぼしとしてこれを受けた1957年昭和32年)、奄美地方襲った台風7号によって漁船群が大損害を受けた為、坪山工房でも30艘ほどの漁船建造した。この大量受注そのもの赤字であったというが、この時に半数強を納船した喜界島漁師たちの間で坪山アイノコ評判となり、以降坪山工房安定した経営続けたFRP船の時代になって坪山木造船に拘ったが、最終的にFRP船も手がけるようになった。後には息子の良一もUターンして舟大工仕事継ぎ伝統的なアイノコイタツケの他、アイノコスケールダウンしたレクリエーショナルカヌー「クッカル」やシーカヤックなど様々なカヌー建造するようになっている

※この「舟大工としての坪山」の解説は、「坪山豊」の解説の一部です。
「舟大工としての坪山」を含む「坪山豊」の記事については、「坪山豊」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「舟大工としての坪山」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「舟大工としての坪山」の関連用語

1
36% |||||

舟大工としての坪山のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



舟大工としての坪山のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの坪山豊 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS