舞台衣装・演出
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「珈琲カップは、受け皿こそが演出を引き立たせている」という論を繰り広げた田耕は、舞台芸術としての太鼓芸能にこだわりを持ち、「大太鼓を屋台に載せる」という当時には例に稀な斬新な演出を組んでいった。 褌ひとつで舞台に上がり、観客に背を向けて大太鼓を打つ姿が海外で注目され、褌姿の和太鼓演奏のイメージが1970・80年代に定着したが、本来伝統的な和太鼓演奏に褌だけで演奏するスタイルは記録にはなく、結成当時の鬼太鼓座が、はじめてサントリーのCMに出演する際、当時の座に太鼓指導をしていた川崎肇が「はだかで太鼓を打つ」ことを提案。その後、田によると1974年に鬼太鼓座が西大寺 (岡山市)の会陽(裸祭)で演奏をする際に、田の指示により初めて褌姿の太鼓を披露した。そのときの写真を翌1975年のフランス公演のポスターで使用したところ、公演会場の代表でフランス人ファッションデザイナーのピエール・カルダンから「西洋の観客にアピールするにはふんどしが良い」とアドバイスされ、舞台上で褌で大太鼓を叩くというスタイルを公演期間の途中から始めたという。当初、裸同然であることに観客は困惑してか拍手はなく、その様相に恥じらう女性客も激減したが、衝撃的な姿が話題を集めて人気を博し、以降この演出が定着した。また観客を背にして大太鼓を打つスタイルは、俳優ジャン・ギャバンの"背中で演ずる"からヒントを得て、田耕が演出したとされる。[要出典]
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