自治組織と祭りの組織(1960年代)
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「阿児町立神」の記事における「自治組織と祭りの組織(1960年代)」の解説
1960年代の立神では、東西南北の各配から1人ずつ選出された「九人衆」(九人役とも)と9人の組頭(クミガシラ)を中心に自治が行われた。東西南北から1人ずつ選出するので、「九人衆」と称しながら実際には4人しかいない。これは、明治時代以前まで、9つの組から1人ずつ代表者を選出していた名残である。九人衆は正月に寺で総会を開き、年中行事を定め、地域の規約改正の議論や農業協同組合・漁業協同組合の役員選出もこの場で行った。九人衆は祭りと寺の世話、寺社の屋根葺き、虫送り、人形送り、雨乞い、兎狩、道普請など、立神で行われる広範な行事に立ち会った。 祭りは15 - 28歳の「青年」と呼ばれる男性が中心となって取り仕切り、神社の祭りの際には、住民を本家ごとに9つの宮座に振り分け、各座から1人ずつ祷屋(とうや)を選出した。選ばれた祷屋は年齢順に1祷から9祷と呼ばれ、それぞれ役割分担して祭りを運営した。1月12日・5月12日・9月12日には「村祈祷」を行い、村役人・僧・九人衆が各戸に札を配布し、集落の出入り口に注連縄を張った。 このような祭政一致体制をとる地域は、志摩地方では珍しい存在であった。
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