自宗との関わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 03:35 UTC 版)
ムスハフの神の啓示では、神の名のもとに、同じイスラーム教徒同志は喧嘩をしてはいけない、とする啓示がある。「信者は皆兄弟である。もし信者同士が二派に分かれて喧嘩を始めたら、お前たちが仲裁するように」、という神の啓示がある。(49章9節)。この啓示自体には矛盾はない。 正当な理由なくして人を殺してはならぬという啓示がある。(17章33節)。 「正当な理由」という言葉は、政治的な見地からの解釈によって、いろいろな理由づけが為されるようである。しかしながら、宗教的に見るならば、違う宗派どうしが、喧嘩をしてはならない、ましてや、殺してはならない、という啓示であると解釈できる。この、神の啓示に従うならば、現代では当り前のようになっている「宗派どうしの戦闘による殺人」は、絶対的にしてはならないことと言えるようである。それは、イスラーム教徒を巻き込む「無差別攻撃」も同様であるといえる。 イスラーム教徒同志が殺しあうことは、イスラームの神の心を踏みにじる行為であるといえる。中でも、宗派どうしの戦闘を認める指導者は、イスラームの「神の心を破棄する者」であるといえる。神の心を破棄する行為とは、「殺し合いの喧嘩」や、「宗派間の戦闘」、イスラーム教内部における「民族弾圧」、「イスラームを国教とする国同士の争い」等で、彼らが、相手宗派の死亡者を、出してしまうことです。 「わたしのしもべに対しては、神であるわたし自らが、彼らを守る。シャイターンの自由にできるのは、腐った反逆人間ばかりである。神であるわたしのしもべを攻撃する「腐った反逆者」は、いまに、神であるわたしが、地獄に叩き込んでやる。(15章39節)」、という言葉がある。自宗間の争いに関しての、神の啓示は一種類しかない。そのことを考えた場合、分派による戦闘を当り前のように行う政治的指導者は、「政治と宗教は一体である」という言葉を語る。しかし、それは、「ナスフ」ではなく、「腐った反逆」に近いものがあるといえる。
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