聖徳太子御廟(叡福寺北古墳)
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「叡福寺」の記事における「聖徳太子御廟(叡福寺北古墳)」の解説
詳細は「叡福寺北古墳」を参照 叡福寺が聖徳太子磯長廟として祀り、聖徳太子らの墓所とされる叡福寺北古墳は、宮内庁により皇族の陵墓(磯長墓)に指定されている。1889年(明治12年)、学術調査がなされた。聖徳太子の墓所とするのは後世の仮託だとする説もある。古墳は約直径55メートルの円墳で、横穴式石室をもち、内部には3基の棺が安置されているという。中央の石棺に穴穂部間人皇女(母)が葬られ、東と西の乾漆棺(麻布を漆で貼り固めた棺)には東に聖徳太子、西に膳部菩岐々美郎女(妻)が葬られているとされる。 江戸時代までは参拝のために石室内に入れたというが、明治になり入場が規制され、1889年(明治12年)の修復調査が実施された際に横穴入口をコンクリートで埋めてしまったため、中を調査することは困難である。また調査の際に棺は確認できたが、遺骸は風化して残っていなかったとされている。 墳丘の周囲は「結界石」と呼ばれる石の列によって二重に囲まれている。2002年(平成14年)に結界石の保存のため、宮内庁書陵部によって整備され、墳丘すそ部が3か所発掘された。同年11月14日、考古学、歴史学の学会代表らに調査状況が初めて公開された。墳丘の直径が55メートルを下回る可能性が指摘されている。
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