聖徳太子御廟とは? わかりやすく解説

聖徳太子御廟(叡福寺北古墳)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 18:59 UTC 版)

叡福寺」の記事における「聖徳太子御廟(叡福寺北古墳)」の解説

詳細は「叡福寺北古墳」を参照 叡福寺聖徳太子磯長廟として祀り聖徳太子らの墓所とされる叡福寺北古墳は、宮内庁により皇族陵墓磯長墓)に指定されている。1889年明治12年)、学術調査なされた聖徳太子墓所とするのは後世仮託だとする説もある。古墳は約直径55メートル円墳で、横穴式石室をもち、内部には3基の安置されているという。中央の石棺穴穂部間人皇女(母)が葬られ、東と西の乾漆棺麻布を漆で貼り固めた)には東に聖徳太子、西に膳部菩岐々美郎女(妻)が葬られているとされる江戸時代までは参拝のために石室内に入れたというが、明治になり入場規制され1889年明治12年)の修復調査実施された際に横穴入口コンクリート埋めてしまったため、中を調査することは困難である。また調査の際に確認できたが、遺骸風化して残っていなかったとされている。 墳丘周囲は「結界石」と呼ばれる石の列によって二重囲まれている。2002年平成14年)に結界石の保存のため、宮内庁書陵部によって整備され墳丘すそ部が3か所発掘された。同年11月14日考古学歴史学学会代表らに調査状況初め公開された。墳丘直径55メートル下回る可能性指摘されている。

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