聖嶽洞窟遺跡捏造疑惑
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2000年8月に第2次調査の中間発表がなされ、同年8月28日に「発掘された人骨は当初発表された旧石器時代のものではない」とTV、新聞等が報道した。これらは1962年の第1次調査に対する疑惑報道ではなかったものの、当時、考古学界最大のスキャンダルと言われる藤村新一の旧石器捏造事件の影響もあり、週刊文春による聖岳人の捏造疑惑報道が行われ、第1次調査の中心人物である賀川はバッシングを受けることとなった。この報道は激しく、2001年に三度に渡り(2001年1月25日号、2001年2月1日号、2001年3月15日号)特集した。これらの報道による影響でいたずら電話やインターネット上での中傷を受けていた賀川は、週刊文春に対し抗議の意思を示すために首吊り自殺するという事態に至った。 この後、賀川の遺族は「週刊文春の連載記事で故人の名誉が深く傷つけられた」として、 発行元の文藝春秋と同誌編集長らを相手取り、 謝罪広告の掲載と総額5500万円の損害賠償を求める訴えを起こした。裁判では文春側の取材体制のずさんさが多く指摘され、大分地裁(2003年5月15日)、福岡高裁(2004年2月23日)とで相次いで文春側が敗訴。最高裁も文藝春秋の上告を棄却(2004年7月15日)し、遺族に対し慰謝料920万円の支払いと、誌面での謝罪広告の掲載を命じた。同年9月2日号の週刊文春誌面において「代表取締役上野徹 前編集長木俣正剛 取材記者河﨑貴一」の連名の謝罪文が掲載された。 なお、最高裁判決を受け、日本考古学協会は、2004年12月1日発行の会報の中で、聖嶽遺跡問題に関する総括を発表している。
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