聖セルギイの没後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 20:40 UTC 版)
「至聖三者聖セルギイ大修道院」の記事における「聖セルギイの没後」の解説
1422年ラドネジのセルギイは亡くなり、のち聖人に列せられた。同年、 最初の石造りの聖堂が1389年のコソボの戦いの後、この地を訪れていたセルビア人修道士たちの手によって建立された。この聖堂は聖セルギイの禁欲と神との一体感という理想が反映されている。そして、至聖三者を記憶する至聖三者大聖堂(トロイツキー大聖堂)が献堂された。ラドネジの聖セルギイの不朽体(遺体)はこの大聖堂に安置された。 至聖三者大聖堂のイコノスタスは、中世ロシア最高のイコン画家である、アンドレイ・ルブリョフとダニイル・チョールヌィイ(Daniil Chyorny)の手によるフレスコ画で装飾された。モスクワ大公国の諸侯らは、至聖三者大聖堂で洗礼を受けて、感謝の祈りをここで持つことが伝統となっていった。 1476年, イワン3世(大帝)は、聖神聖堂Храм Святого Духа を建設するためプスコフの建築職人を招聘した。この優雅な建築は、ロシア正教会の教会建築では頂上に鐘楼をいただく古い様式では最古のものの一つである。内陣はつや出しされたタイルが使用されている。16世紀初期、ヴァシーリー3世はニコン別館 Nikon annexとセラピオン・テント Serapion tentを建立し、セルギイの弟子の何人かは、そこで過ごした。
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