翼賛的な衛星政党として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/04 04:07 UTC 版)
「ドイツ民主農民党」の記事における「翼賛的な衛星政党として」の解説
以後、1949年に社会主義統一党(SED)による事実上の共産党一党独裁制となった社会主義国として東ドイツが成立したが、社会主義統一党の指導性を確立しつつも形式的な複数政党制(ヘゲモニー政党制)を残す人民民主主義体制が採用されたため、民主農民党は社会主義統一党以外に存在が認められた4つの政党のひとつとなった(残りの3党はドイツキリスト教民主同盟(CDUD)、ドイツ自由民主党(LDPD)、ドイツ国民民主党(NDPD))。東ドイツの人民議会(その選挙は社会主義統一党を筆頭とする統一名簿に対する信任投票でしかなく、しかも投票時における当局の監視が厳しい、非民主的なものだった)において500議席中52議席を自動的に割り当てられており、また社会主義統一党主導の閣僚評議会(内閣)には常に閣僚を出していた。 1952年から開始された東ドイツの農業の集団農場化においては「社会主義の建設」を掲げ、農業分野の政党としての役割を果たした。また再組織化を進めた結果として党員数は1984年には10万人を超しており、衛星政党としてはそれなりの勢力を有していた。 しかし1989年のベルリンの壁崩壊に至るまでのあいだ、東ドイツの政権や社会主義統一党の施策に反対することはただの一度もなく、完全な翼賛政党、あるいは共産党としての社会主義統一党を労働者階級の政党とするなら、それに付随する農民部門の政党・政治組織とでもいうべき存在だった。
※この「翼賛的な衛星政党として」の解説は、「ドイツ民主農民党」の解説の一部です。
「翼賛的な衛星政党として」を含む「ドイツ民主農民党」の記事については、「ドイツ民主農民党」の概要を参照ください。
- 翼賛的な衛星政党としてのページへのリンク