翼賛選挙無効判決
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1942年(昭和17年)に行われた第21回衆議院議員総選挙(翼賛選挙)をめぐって提起されていた選挙無効訴訟(鹿児島2区選挙無効事件)において1945年(昭和20年)3月1日、大審院第三民事部の部長判事(裁判長)だった吉田は「鹿児島2区の選挙は無効」とする判決を下した。同事件の審理に際して吉田は4人の陪席裁判官と共に鹿児島へ出張して鹿児島県知事の薄田美朝を含む187人もの証人を尋問しており、この出張尋問は大審院内部でも「壮挙」と評された。 なお同判決の判決原本は東京大空襲の際に焼失したとされており、大審院民事判例集にも登載されておらず「幻の判決文」とされていたが2006年(平成18年)8月、最高裁判所の倉庫で61年ぶりに発見された。
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