翼賛体制との関わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 14:14 UTC 版)
市川は国策(戦争遂行)への協力姿勢をみせることで、婦人の政治的権利獲得を目指す方針をとり評論活動を行った。1940年(昭和15年)に婦選獲得同盟を解消し「婦人時局研究会」へ統合。1942年(昭和17年)に婦人団体が大日本婦人会へ統合。大政翼賛会を中心とした翼賛体制に組み込まれ、市川は大日本言論報国会理事に就任。
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