義烈団組織
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 18:40 UTC 版)
慶尚南道密陽生まれ。金若水や李如星などと交流しながら、中央高等学校(ソウル)を卒業した後、独立運動に意義を見出し満州に渡った。新興武官学校を卒業後、1919年に義烈団を組織し、何度となく直接行動を行なった。この後、組織的な抗日武装闘争のために、1926年1月、崔林の名で黄埔軍官学校に入学し、歩兵第1団第5連に配属された。ここで獲得した知識及び社会主義思想を基に、同年春朝鮮民族革命党創設に携わる。1926年10月、黄埔軍官学校第4期歩兵科を卒業。卒業後も政治部教官として同校に留まり、北伐にも参加した。1927年8月、周恩来、朱徳などが主導した中国共産党による南昌蜂起に参加した。しかし、共産党勢力と国民党政府の間で行なわれた殺戮戦を通し、イデオロギーは欺瞞であると痛感し、広州起義には参加しなかった。
※この「義烈団組織」の解説は、「金元鳳」の解説の一部です。
「義烈団組織」を含む「金元鳳」の記事については、「金元鳳」の概要を参照ください。
- 義烈団組織のページへのリンク