総理大臣および大蔵大臣として
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「松方正義」の記事における「総理大臣および大蔵大臣として」の解説
詳細は「第1次松方内閣」および「第2次松方内閣」を参照 明治18年(1885年)に内閣制度が確立されると、第1次伊藤内閣において初代大蔵大臣に就任。1888年4月には黒田内閣で大蔵大臣、次いで12月に内務大臣を兼任。 明治24年(1891年)に第1次山縣内閣が倒れると大命降下を受けて総理大臣(兼大蔵大臣)に就任した。しかし閣内の不一致や不安定な議会運営が続き、明治25年(1892年)8月8日に辞任に追い込まれた。同日付けで特に前官の礼遇を賜い麝香間祗候となる。その後第2次伊藤内閣を挟んで明治29年(1896年)に再び松方に組閣(総理大臣兼大蔵大臣)の大命が下るが、明治30年(1897年)に懸案であった金本位制への復帰こそ成し遂げたものの、大隈重信率いる進歩党との連繋がうまくいかず、同じく1年数か月で辞任を余儀なくされた。このとき松方は衆議院を解散した直後に内閣総辞職している。
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